DSCF0477

F/Tの注目作の1つ、『4.48サイコシス』が11月16日開幕する。

春のF/Tで、平田オリザの戯曲『転校生』を演出して好評だった飴屋法水が、今度はイギリスの作家で、10年前に若くして自殺したサラ・ケインの遺作に取り組んでいる。

飴屋法水は、1984年に「東京グランギニヨル」を結成してカルト的な人気を博し、87年には「M.M.M.」を立ち上げてインスタレーションと融合した演劇を展開した。90年代はアートの世界で活動して、そののち「動物堂」を経営し、さまざまな生物の飼育や研究を行っていた。05年には再び実験的な美術活動を再開するとともに、演劇でも07年には静岡の「SPAC  秋のシーズン2007」で、前記の『転校生』の初演出を手がけ、変わらぬ才能を見せてくれた。

今回、彼が挑むサラ・ケインの『4.48サイコシス』は、精神を病む者の内面が、詩のような数字のような言葉の断片で描かれている作品で、その心象風景を彼がどう表現してくれるか期待は大きい。

このインタビューの行われたのは稽古場だったが、すでにアーティスティックな空間を感じさせて、独特の飴屋法水の世界が形作られていた。

 

DSCF0469

【誰の言葉か決められていない戯曲】

ーー今回のサラ・ケインの戯曲はまさに飴屋さんの世界にぴったりだなと。

どうなんでしょうか。そう言われがちですけど、誤解を怖れずに言うなら、僕は別に惹かれて作るわけではなくて、たまたま作る機会をもらったから、という程度のとっかかりなんです。たぶんこういう形でなく読んだとしても、そんなに惹かれなかったと思います。でも人が僕にやれと言うからには、たぶんそこに何かがあるんだろうなと。僕自身が気づいてないそれが分かればいいなと思うし、稽古の過程で少しずつでも分かればいいなと思ってます。

ーー今、どこまで近づいた感じですか?

今の段階で決まってることは、とにかくサラ・ケインさんが書いた言葉を言わなくてはいけないということ。また、それを言ってる者を見て僕自身が気持ちが動かなきゃダメなこと。その両方がクロスしつつあるかな、というのが今の感じですね。

ーーフライヤーに載ってる無数の顔のアート作品は、この戯曲を前提に作ったのですか? それともアーティスト飴屋法水自身のテーマとしてあったものですか?

どっちもですね。結局自分が抱えているものしか出せないし、といっていたずらに自分に引き寄せたり、自分なりの解釈を主張する気は特別にないんです。でも、つねに接点というかクロスするところはあるだろうなと思ってます。

ーーこの作品はサラ・ケイン自身のモノローグでもあり、同時に無数の人間の言葉の集積とも言われていますが。

ト書きとかには人の指定がとくにないんです。ということは自由にやっていいよというふうにも取れるけど、逆に役名を振れなかったとも考えられるんです。これは誰というふうにできなかったのかなと。その感じはわかるというか、そこが一番の接点かもしれない。だから誰が言ってもいいと思っていて、それを探るから稽古時間がかかっています。発語してもらうまではすべてが分からないので。

ーー飴屋さんは、いつも創作のテーマに“死”があったと思います。それも、肯定でも否定でもなく、そこにただあった。それに関して、今現在の飴屋さんは、どう捉えてどう提出しようとしているのでしょうか?

僕は死にたいと思ったことがないし、サラ・ケインのような鬱状態も未知のもので、なるべく楽しく暮らしたいなと思ってる人間なんですが(笑)。死って万人が体験不可能なものですから、外から語るしかないですよね。僕は動物が好きなんですけど、動物は死という概念を持ってない。ある日活動が止まるだけで、それを死という概念で捉えてない。でも人間はその概念を持ってしまって、しかも肥大してるなと思うんです。

ーー飴屋さんは、即物的に捉えたいということですか?

自分の場合は体験できないことですからね。でも僕はたとえば子どもがいますから、その子どもが死んだらとか知り合いが死んだらと考えると、喪失ということかなと思います。自分が死んだらそれを他者に与えるだろうと。だから僕の中では死が堂々巡りするような感覚はないし、僕にとっての他者の死をこの作品でも考えてるんだと思います。
 

【ラインを超える感触を求めて】

DSCF0473

ーー飴屋さんはアートの世界での活動も盛んですが、最近また演劇に近くなっているのが嬉しいんですが。

美術に移行したとか演劇から離れたとかいうことではなくて、ただ機会がなかっただけですから。『転校生』で久しぶりに話がきて、こういう羽目になってるわけで(笑)。正直に言えば90年代は演劇をあまり観てなかったんです。それが2000年代に入ってから、逆に美術から離れて芝居を観る機会のほうが多くなっていました。だから自分のなかでも、そういう流れなのかなと思っていたりはするんですが。

ーーどんなものに興味を惹かれましたか?

F/Tのラインナップに重なる感じですが、サンプルの松井周さん、ペニノのタニノクロウさん、チェルフィッチュの岡田利規さんとか、五反田団の前田司郎さんとか、みんな面白いですね。

ーーそのあたりの70年代生まれの人たちは注目の世代ですね。

エネルギーを感じます。90年代は美術の分野にそういうエネルギーを感じていて、ちょうど村上隆さんとか出て来たころでしたが、そういうエネルギーにこちらの創作意欲が刺激される部分はありますね。

ーーその70年代の人たちの感覚と飴屋さんの作品世界は遠くないなと。『転校生』の演出は、現代社会への目線や切り口が彼らと近いと思ったし、精神の若さを感じました。

作ってるときは、ひたすら「これはどうしょうもないな」と思いながら作ってるんですけどね(笑)。『転校生』が初日を開けたときも「なんでこんな失敗作しか作れなかったんだろう」と。そういう感じです、いつも(笑)。

ーーそこから復活するのは、お客さんの反応ですか?

面白いと多くのかたが言ってくれたり、観客の気持ちが動いてるのが伝わってきたりすると、「じゃあ、よかったのかな」と思うけど、作ってるときはそういう評価は全然できなくて、いつもメソメソ泣いてます(笑)。

ーー本当に作りたいものにはまだ届いてないということですか?

うーん、作りたいもののイメージがあればいいんですけど、何を自分が作りたいのかも分かんないし、作っててこれがどうなっちゃうのかも分かんないし、今も確信なく作ってるわけですから(笑)。

ーーそれでも作り続けるためのモチベーションはなんですか?

もちろん仕事でやらなくてはいけないということがありますけど、やっぱりそれだけでやってるわけではなくて。僕は「ラインを超える」という言葉を使うんですけど、「ラインを超えた」というときは、自分の気持ちが動いてるし、終わってからもその気持ちは残ってる。いいかげんな言い方ですけど、いつ超えるかは分からないし、どう超えたのかも分からないんですけど、確かにラインを超えたという感覚はあるんです。ちょっとさっきの話と矛盾してるみたいだけど。

それから、人は好きだと思います。好きじゃないとできないし、みんなのことをいつもすごく好きだし。それがきっとモチベーションだと思う。チープな言い方なんだけど、その人がすごく素敵に見えたらいいなという動機が意外と大きいかもしれない。

ーー飴屋さんは80年代に、演劇でもアートのようなインスタレーションをよく造られてましたが、いつも役者がモノにはなっていなかったし、生き生きしてました。人間を素敵に見せることはテーマなんですね。

素敵になればいいですよね。僕はその役者たちがサラ・ケインの言葉を吐くのを見ながら、自分の中でいいと思えればOKで、それを探ってるだけですから。あまり僕は台本の解釈とかには興味がないんですが、見てて嘘っぽいと僕の気持ちが動かないので、最終的には演出することは解釈することになっちゃうんですけどね。なんとなく言ってもらっててもしょうがないから。

ーー飴屋さんのそのリアリティで、サラ・ケインの戯曲の「死」をどう捉えるかが楽しみです。

ちょっとズレますが、よく考えるのは「自分が生きてるのか死んでるのかよく分からない」ってことなんです。死を概念だと言ったけど、生も概念じゃないですか。今、ここにいて話していたり、この椅子の感触なども現実だと思っているけど、本当にそうなのか。考えたら夢の中ではその世界が強烈なリアリティを持っていて、ときには脂汗をかいたり叫んだりしてるわけです。そう考えるとよく分からなくなるんですよ。街を歩いていて「もし自分が死んで、仮に幽霊になって街に出たら、きっと今と同じように見えるんじゃないか」と思ったり。そうすると、本当に今、自分が生きてるのかなということも疑問に思ったりするわけです。

ーー見える世界であっても、こちらは生きてるとはかぎらないとか?

そういうふうにも言えますね。

ーーさまざまなものを想起させてくれる作品になりそうですね。

なるといいですね(笑)。

 

DSCF0877

フェスティバル/トーキョー09秋

『4.48サイコシス』

●11/16〜23◎東池袋 あうるすぽっと

◇サラ・ケイン

演出◇飴屋法水

出演◇山川冬樹 安ハンセム 石川夕子 大井健司 小駒豪 グジェゴシュ・クルク他

<料金>一般¥4500  学生¥3000 高校生¥1000

問合せ◎F/Tチケットセンター03-5961-5209

http://festival-tokyo.jp/(パソコン)

http://festival-tokyo.jp/m/



 

                  【取材・文/榊原和子】