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日本の現代演劇に大きな影響を与え、また映画や小説の世界にも多大な足跡を残した作家、つかこうへい氏が、7月10日に肺がんのため、千葉県鴨川市内の病院で死去した。享年62歳だった。

1948年福岡県の嘉穂郡の生まれ、慶応義塾大学仏文科に在学中の1960年代末から学生劇団で活動。早稲田大学の劇団「暫」で、三浦洋一や平田満、そして風間杜夫などと出会い、70代には、『熱海殺人事件』『蒲田行進曲』をはじめとする衝撃的な舞台を次々に発表、若者を中心につかこうへいブームを巻き起こした。また、73年には、『熱海殺人事件』で岸田國士戯曲賞を最年少で受賞している。

『蒲田行進曲』は82年に深作欣二監督で映画化され、平田満と風間杜夫、そして人気女優の松坂慶子主演で、空前の大ヒット作となった。この作品の中で演じられた大部屋俳優ヤスの階段落ちは、今も名場面として伝説になっている。

82年に、つかこうへい事務所を解散、以後は執筆活動に専念していたが、89年の演劇集団円との共同作業をきっかけに演劇界に復帰。筧利夫と富田靖子主演の『飛龍伝’90』から再ブレーク。94年から「北区つかこうへい劇団」を創設、北区の要請を受けて始めた人材育成と作品作りの拠点とした。この劇団の活動は現在も続いている。

口立て稽古というユニークな作品作り、また役者たちの心の中に踏み込んで裸にするスパルタ式の稽古は、俳優たちにとって大きな衝撃と変化をもたらし、90年代からは、富田靖子 、牧瀬里穂、石田ひかり、内田有紀、広末涼子、小西真奈美、石原さとみ、黒木メイサなどの女優たち、男優では阿部寛、ジャニーズの錦織一清、草彅 剛、佐藤アツヒロ、風間俊介などもつか作品で鍛えられ、役者として飛躍するきっかけになっている。

つかこうへいというペンネームについては、在日韓国人2世だったことから、「いつか公平な世の中になるように」という意味を込めたという説もある。83年に再婚したつか劇団の元女優との間に一人娘がいて、愛原実花という芸名で宝塚歌劇団雪組のトップ娘役をつとめている(9月に退団予定)。

今年1月に肺がんにかかっていることを公表。入院して抗がん剤治療を受けながら、病室から電話で『飛龍伝2010 ラストプリンセス』(新橋演舞場2月公演)の稽古指導をするなど、演劇への思いは最後まで変わらなかった。6月に入って危篤に近い状態になり、7月10日午前10時55分、家族に看取られながら、病院で息を引き取った。遺体は都内の自宅に安置され、故人の遺言により葬儀は密葬で執り行われる。

 

【追加記事/遺書】

つかこうへい氏(本名金峰雄 キム・ボンウン)が、今年1月25日に肺がん治療と入院を公表する前の今年1月1日付けの遺言を残していたことを、12日、所属事務所が公開した。病状が悪化した4月上旬に、マネジャーに「自分が死んだ時に開けて読むように」と封をした封筒を預けていたという。以下が遺書の全文になる。

 

友人、知人の皆様、つかこうへいでございます。
思えば恥の多い人生でございました。
先に逝くものは、後に残る人を煩わせてはならないと思っています。
私には信仰する宗教もありませんし、戒名も墓も作ろうとは思っておりません。通夜、葬儀、お別れの会等も一切遠慮させて頂きます。
しばらくしたら、娘に日本と韓国の間、対馬海峡あたりで散骨してもらおうと思っています。
今までの過分なる御厚意、本当にありがとうございます。

2010年 1月1日 つかこうへい



【アールユーピーからのコメント】

8月6日に幕を開ける予定で、現在稽古中の筧利夫主演『広島に原爆を落とす日』の、主催であるアールユーピーからは、以下のようなコメントが発表された。

ーつかこうへいさんのご逝去にあたりー

つかこうへいさんご逝去の報を受け、私たちは深い悲しみの中にいます。
折りしも、亡くなられた7月10日は、全ての出演者、スタッフが集まり、顔合わせの会を行なっておりました。
8月6日に幕を開けるつかこうへい作『広島に原爆を落とす日』を上演するにあたり、つかさんからこの作品に託されたつかさんの教え子たちから
「つかさんが元気になられることを願って、今回は私情を交えさせて参加させていただきたく」等の言葉があり、私たちの稽古がスタートいたしました。
今はご冥福を祈りつつ、一丸となって初日の幕を開けることに励みたいと思います。
尚、主演の筧利夫さんのコメントは、ご本人の心の整理がつき次第、発表させていただきます。

株式会社アールユ−ピー 菅野重郎・岡村俊一

 

【岡村俊一緊急インタビュー】

8月6日から幕を開ける『広島に原爆を落とす日』は、つかの直弟子である岡村俊一が演出を手がけている。つかこうへい世界を土壌に演出家として腕を磨いてきた岡村俊一にとっては、くしくも追悼公演となってしまったこの作品だが、恩師の訃報を聞いたばかりの岡村氏がインタビューに答えてくれた。

岡村「つかさんは恩師であり、僕にとって口にはできないほど大きな影響を与えてくれた人です。この世界に入ることになったのもつか作品のファンだったからだし、プロデューサーになって話をするようになってから、「お前は分析力があるから演出をしろ」と言われて、それで演出家になってしまったわけですから。
つかさんの助手的な立場でたくさんの作品に関わらせてもらって、そこで覚えた役者の魅力の引き出し方や見せ方、舞台の使い方は、僕が少年隊や劇団EXILEの舞台を手がけるときに大きく役に立ちました。つか演出はスターもジャージ姿で、セットもないという無対象演技だったけど、本当に役者が輝いていた。エンターティメントの原点としての役者の見せ方を教えてくれたと思います。
そばにいて感じた素のつかさんは、強い怒りのエネルギーを持ちながら、明るく笑っていられる人。そしてひじょうに人間くさくて面白いんです。とくに記憶に残ってることがあって、それは『飛龍伝’90』の初日のことなんですが。開演前につかさんが舞台監督を呼びつけて、「お前、少しくらいの拍手でカーテン上げるような、こすっからいことをするんじゃねーぞ」と脅かしてたんです。ところが終演したら客席が総立ちですごい拍手で、僕なんか震えがきてて。でも舞台監督はつかさんに脅されてるから、なかなかカーテンを上げないんですよ。そしたらつかさんがダーッと走ってきて「何やってんだ、幕を開けろ、早く開けろ!」って舞台監督を怒鳴って(笑)。すごく小心で繊細なところと、すごく素直ですぐ感動する面があって、そういうところがとても人間らしいし、人間としてすごくかわいい人でした。
つかさんの病気を知ってから、どこか心の奥で覚悟はしていたけど、やっぱりつらい。つかさんの写真が目に入ると泣けてきます。
今のこの『広島に原爆を落とす日』の演出をしていると、物語の主人公はつかさん自身じゃないかと思うようなことがたくさん出てきます。つかさんの想いそのものじゃないか、というようなセリフもたくさんあって胸に突き刺さってくる。でも、どういう状況でも公演を打つこと、芝居を続けるのがつかさんの遺志ですから、今日も明日も休まずに稽古する。それが僕らの今できることだと思っています」


【取材・文/榊原和子】