toumeiduck

意味がない、ナンセンスという所に分類される作品。確かに意味がない。意味がないを通り越して、さっぱり訳がわからない時だってある。だけど、そこに笑ってしまうし、むしろその意味のなさ、くだらなさこそ魅力!と思ってしまうのはなぜなんだろうか。

演劇弁当猫ニャーとして2004年まで活躍し、その後はフリーで作家活動を続けているブルースカイが作・演出を務めたこの作品。2009年の『この世界から消える魔球』に続き、今回も所属事務所ダックスープのプロデュース公演という形で上演される。

なぜ?の理由は「脱力感」にあるのかもしれない。例えば世界平和を訴えたり、愛を叫んでみたりだとか、作品を通じて何かを伝えたい!!という思いを大して感じない。
見る側に何かを強いることがなく、ゆるい。何かを感じてくれるのなら、それはそれでありがたいし、でもただ笑って帰って行くだけでも全然構わないし、こっちはこっちで好きなことしてみたから、お客さんはお客さんで、好きなように楽しんでください。
でも、チケット買って見に来てくださっている訳だから、その部分はエンターテイメントとして最低限頑張ります。というような、作る側と見る側のまったりした関係性を客席で感じた気がする。

常に濃く深くたくさんの人と繋がっていたいとはあまり思わないのだが、それぞれの意志で成立する自由な繋がりや、暖かさは無くさずにいたい。そんな作品が醸し出す雰囲気が肌に合う。だから、こちらも見ていて楽だったし、面白いと感じた。

一つ一つが細かく、しかもくだらなすぎて、具体的なネタというか、笑った部分はあまり思い出せないし、仮に思い出して文章にしてみたとしても絶対に面白さは伝わらないと思うのだが、ずば抜けて印象に残っているのは、とりあえず池谷のぶえの存在。
突拍子もない台詞になんだか訳のわからない色気を持たせたり、「鳩の写真集を出版したい」とかいうリアリティのない願いに、妙な現実味を漂わせたり、とにかく池谷のぶえという個性を言葉に植え付けてガツンと成立させてしまう、そのインパクトがすごい。場をさらっていく。

ナンセンス、くだらなさが魅力的と書いてきたけれど、それでも、その無意味さを連発させて一つ作品を書き上げたブルースカイという人の意識をちらっと感じられるような所がある。開場時に配られたチラシの中にあったブルースカイの挨拶には「選択肢が増えてしまったことによる不幸」についてが書かれていた。

意味のないところに、意味を見つけようとしてしまうのは、人の性なんだろうか。無意味さに、勝手に意味を見出すという、不思議な面白がり方をした。まぁでも、そんな面白がり方も意味ないかもしれない。

 

ダックスープ プロデュース

『透明感のある人間』

作・演出◇ブルースカイ

出演◇池谷のぶえ 野間口徹 黒田大輔 永井秀樹 いせゆみこ 眼鏡太郎 ほか

●7/37/11◎ザ・スズナリ

 

【文/岩見那津子】