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孤独で荒れ果てた暮らしをしていた兄弟が、かつて孤児だった男の優しさに触れて再生していくという舞台、『オーファンズ』が、2月10日から東京と神戸で上演される。
初演は1983年ロサンゼルス、そののちロンドンで再演されて話題を呼び、翌年には映画化。今もなお世界中で繰り返し上演されている名作戯曲である。今回は柳下大、平埜生成、高橋和也という3人の俳優が、宮田慶子の演出のもと、小劇場の密な空間でじっくりと向き合う舞台となる。その作品の新訳を手がけた翻訳家で、劇団DULL-COLORED POPを主宰し、作・演出家としても活躍する谷賢一に、この作品について、また翻訳という仕事について話してもらった。

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はぐれていたり悪ぶってたり、そういう人たちは大好きなので

──この作品は33年前のアメリカが舞台になっていますが、今の日本の観客に向けての翻訳ということで、苦労したところはありますか?
やはり舞台となっている場所と切り離せないような表現、フレーズ、名詞というようなものが多かったので、それをどこまで意訳してしまうのか、どこまで残すのかという選択でけっこう悩みました。それから、当時のとても息づいた言葉で書かれている分、それを今の人たちが息づいて喋れる言葉にするためには、ある種の変換作業が必要になります。この人物はこういう人で、普段こういう生活をしているから、今に置き換えたらこういう口調かなと。基本的には翻訳というのは全部そうだと思うんですが、移し換えるというより作り直すような作業なんです。英文学の教材としてなら、そのまま移し換えてもいいのですが、舞台で話される生きた言葉として再創造するわけですから、その意味ではけっこう苦労しました。
──3人の登場人物が出てきますが、わかりやすかったり書きやすい人とかあるのでしょうか?
一番手強かったのはト書きですね(笑)。すごく細かくて、この時代の戯曲はそういうものが多いのですが、部屋の様子とか、そこに置かれているものなどが、彼らがどういう暮らしをしているかを表していますから。久しぶりに1行ごとに1単語ごとに資料を調べていく作業をしました。台詞も苦労したところはあったのですが、口語体なので読みやすいんです。しかも彼らの喋っている言葉はとても荒っぽかったり生活感があったり、ちょっとはぐれていたり悪ぶってたり、大人のハロルドもアウトローの匂いのする人で、そういう人たちは大好きなので(笑)、イメージがとても湧きやすかったですね。
──人物像が理解できるかどうかというのは、翻訳に関係ありますか?
理解できない人物がいる限り、翻訳はスタートできません。自分は翻訳をするとき、英語のまま、必ず一度声に出して通して読んでみるんです。会話の中で細かく意味がわからない単語が残っていても、どういうテンポやスピード感で会話が進んでいるのか、それがわかることが大事なんです。この人は口数が多いなとか、この人は文章が長いとかスラングが多いなとか、断定口調が多いとか付加疑問文が多いとか。登場人物の大枠を理解しない限りは、一行も訳し始められません。
──演出家としての部分も役に立ちそうですね。
そうですね。翻訳と演出は近いと思います。演出するために読んだ戯曲に、「よくわからないぞ」という人物がいたら、作家はなぜそれを書こうと思ったのかを考えるわけです。翻訳もまず出てくる人物、そして関係性を理解しないことには始められませんので、作品自体をしっかり読むということが一番大事だと思います。

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冒頭に引用されているヘレン・ケラーの言葉の意味

──『オーファンズ』は、今も世界中で上演されていますが、その理由はどんなところにあると思いますか?
まず、出てくる3人の人物像にそれぞれ魅力があること、会話の面白さ、それからこれは自分が作品を作るときも意識する部分ですが、やっぱりいいお芝居は、始まって終わるまでに人物が変わるポイントがあるんです。成長でもいいし挫折でもいい、何か新しいことに気づいたでもいいのですが。実はそれはギリシャ悲劇の時代から続いている構造で、『オイディプス王』なども、そうと知らずに父親を殺して母親と結婚してしまうのですが、途中でそのことに気づき、最後には自分が一番無知だったということに気づくわけです。『オーファンズ』は三者三様にそういう変化がしっかりあって、それぞれの一番可愛らしいところとかカッコイイところ、逆に弱い部分や安易な部分がむき出しにされる。そこが見事だし、だから面白い。それに一人芝居でも二人芝居でもなく三人芝居という形もいいんです。三人というのは社会を作る最少単位で、色々な角度から見る目線がそこからできるので豊かなわけです。そういう人間関係をもとに作ったというのは、とてもよく出来ている本だなと思います。
──観ている観客も3人の誰かに共感を抱ける気がします。とくに今の日本の若者は、フィリップ的な部分がありそうですね。
フィリップ役の(平埜)生成くんの自己紹介が、「僕がまさにフィリップのような、コミュニケーションを取らないで生きてきた人間なので、がんばります」と(笑)。
──一方の兄のトリートは生命力がありますね。
これだけサバイバル精神がある若者は、今の日本ではなかなかいないと思います。柳下(大)さんはそういう意味では歯ごたえを感じる青年なのでぴったりだなと。ただ、日本もこれからどんどん不景気になるし、そういう状況に突き落とされたら、否が応でもトリートのように牙をむくような生き方をせざるを得なくなると思いますが。
──そう考えるととてもリアルな物語ですね。
この戯曲の冒頭に、「先生に会うまで、私はなかった。世界のどこにも、いなかったんです」というヘレン・ケラーの言葉が引用されているんです。なぜヘレン・ケラーなんだろうと思ったのですが、最初、トリートとフィリップはほとんど野獣のように生きているんですね。出ていって獲物を剥ぎ取って巣に戻って、兄弟だけでコミュニケーションして、ほとんど野性の獣のような暮らしをしている。ヘレン・ケラーもサリヴァン先生と出会って、人間として扱ってもらうまでは野性の獣のように生きてきたわけです。この『オーファンズ』の作者のライル・ケスラーは、それをとても意識してこの作品を書いたと思います。そこが先ほどの「変わるポイント」の話とも繋がっていて、ほんのちょっとした大人との出会いとか知識との出会い、そういうことで人間がこんなに変化して成長するんだという。それが2時間ちょっとのお芝居の中で表されているわけです。
──ヘレン・ケラーの言葉はそのための引用なのですね。
すごく具体的なことで言えば、ハロルドがフィリップにフィラデルフィアの地図をあげるんです。それがヘレン・ケラーの「ウォーター」と同じ意味で、世界を知るきっかけ、第一歩になっていくという構図はとても似ています。
──そうなんですね。いわば生きるための思想や哲学が書かれていて、しかも日常会話の中にうまく入れ込んでいるのが凄いですね。
観終わったあとに「地図」でも「ツナマヨネーズ」でも(笑)、劇中で引っかかる象徴的なワードがあれば、それについて考えると、もう1つお芝居の世界を開いて見せてくれると思います。そういうことがうまくいっている戯曲は僕はとても好きで、アメリカとかイギリスのものには、そういうのがすごくうまいなと思う戯曲がけっこうあります。

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演出家に求められているものを自分の文体と擦り合わせる

──演出の宮田慶子さんとは、翻訳について事前に話しあったりしましたか?
今回は宮田さんが作品に抱いているイメージや演出のコンセプト、それから人物関係とか年代とか年齢のこととか、考えていらっしゃることを伺いました。そういった大枠のイメージをとてもしっかり聞けたので、始めやすかったですね。
──谷さんは沢山の演出家の作品で翻訳を手がけていますが、それぞれの方のイメージや要望にどんなふうに応えているのですか?
結局のところは自分の文体になっているとは思うのですが、料理の味付けに例えると、さっぱりしたのがいいか辛いのがいいのか、和風か中華かというような、演出家のイメージを聞いた上で、文体の味付けを考えますね。細かいことで言えば句読点を1つ入れるか入れないか、「てにをは」をしっかり付けて喋るのか略すのか、語順を崩して喋る人かカッチリ喋る人か、四字熟語や漢語の分量をどれくらいにするのか。そういう文体の違いによって、作品の世界観はまるで変わりますから。そういうことを演出家の方と話したり、擦り合わせながらやっているつもりではいます。
──とても緻密であると同時にフレキシブルな能力が必要なのですね。
昨年の白井晃さんの『ペール・ギュント』では、本当に1つ1つ細かく、「表現が硬すぎるよね」「でもこれではくだけすぎる」とか、「これは現代人の言葉に近すぎる。もう少し俳優に負荷のかかるような言葉のほうがいい」「これだと古典的すぎるね」とか、相談しながら訳させていただきました。『オーファンズ』の場合も、僕に求められているものは何かということや、このお芝居をどう扱いたいのかという話を、宮田さんからきちんと聞かせていただいたので、訳し始めるときに迷いはなかったですね。例えばもっと昔のアメリカの空気を感じさせる文体で訳してくれと言われたら、それはそれで出来ますが、でも今回は若者が使う言葉という明確なイメージを頂けたので、こういう翻訳になりました。
──訳してしまうと、作品が手から離れた感じになるものですか? 
毎回本読みには何回か参加するのですが、それは僕の訳にミスがあるかを確認するためで、稽古や演出に余計な口出しはしないよう気をつけています。だからそのあとは、極端な言い方をするなら、渡したらどうとでも料理してくださいという感覚ですね。自分も演出をするので、もし現場に翻訳の先生がいて、「ちょっと待って、ここはやっぱりこう訳したほうが」とか、「ここにはこういう意味があるからカットしないでほしい」とか、「ここはこういう意図で訳したから、こんなニュアンスで読んで欲しい」とか意見を言われたら嫌ですから(笑)。自分の文章へのこだわりはありますが、稽古が始まってしまえば翻訳家も一スタッフという意識です。

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英語は大嫌いだったけれど、演劇のために勉強しようと

──演劇の翻訳の世界も時代とともに進化していて、シェイクスピアは小田島雄志さんの訳によって劇的に変化したと言われています。谷さんの翻訳が人気なのも、言葉が演劇として生きているからだと思うのですが。
学者さんの翻訳にももちろん価値はあって、学術の用途として、あるいは文献として読むぶんにはとても面白かったりするんです。村上春樹さんは翻訳も多くされていますが、彼はむしろ逐語訳的に訳すのを信条にされていて、日本語に意訳しないんですね。意訳したほうがわかりやすい言葉でも、よくわからないようなアメリカのフレーズをそのまま残していたりする。でも彼にとってはそれが大事なんです。要は日本人の言葉に直すのではなく、外国の人が、どういうことをどういう思考で、どういうイメージで喋っているのかというのを読む。それが英文学を読むということだからという主張で、それはすごくわかります。やはり目的によって訳は違ってきますし、演劇としても、上演意図によってはもっと別の訳し方があると思います。例えば昔の演劇の復活上演とか、ある作家の眠っていた作品を初めて紹介するとか。ケースバイケースですね。
──これだけ翻訳劇が多く上演されていると、ますます忙しくなると思いますが、谷さん自身の翻訳する楽しみというのはどんなところにありますか?
翻訳そのものよりも、別の言語を手に入れたことで別の思考が手に入るということに意味があると思います。日本語的に考えている自分と英語的に考えている自分というように、別の思考で考えることで物事を別の角度で見ることができる。こういうふうに考える人もいるんだ、こういうふうに世界を捉えることができるんだと、思考の軸が増えるんです。それから、英語がわかることで日本語の面白さや豊かさがわかるということもあります。自分の場合、もともと英語が大嫌いだったんです。でもやってみたおかげで日本語がより好きになったし、最初は読みづらかったシェイクスピアや海外の戯曲の面白さがわかるようになった。まだ訳されてない、誰も知らない海外の戯曲を読めたりする。演劇とか文学を楽しむ武器が増えたということはありますね。
──英語が苦手だったということにびっくりしました。
大嫌いだったんです(笑)。学生の頃は英語を勉強したいとも思わなかったし、僕の人生に英語なんか必要ないと思っていたので。英語を勉強したのは演劇のためなんです。大学に入る頃、イギリスに野田秀樹さんとか鴻上尚史さんとか色々な方が留学していて、「僕も行きたいな」と思ったし、ちょうどシェイクスピアを読み始めた頃で、英語ができた方が演劇を学べると思って英語の勉強を始めたんです。
──そこから今では第一線の翻訳家になっているわけですから、やはり語学の才能があったのでしょうね。
いえ、「好きこそものの上手なれ」です。演劇だったからで、ほかの仕事だったらダメだったと思います(笑)。

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3人の関係性が、役を越えて見えてくる舞台

──お話を伺っていると、英語とともに視野も一気に広がった感じですね。
この作品の中でフィリップが地図を手に入れたことと一緒です。彼は地図のおかげで外の世界を知ることができました。僕にとっては、英語が地図だったのかもしれません。
──谷さんはご自分の劇団DULL-COLORED POPでは、芥川龍之介の作品とか夏目漱石を題材にしていますね。グローバルな視点とともに日本人というアイデンティティも強く意識するようになったのかなと。
今日は翻訳家としてインタビューに来たわけですけど、僕が今、かばんに入れている本って日本語のものばっかりですよ。三島由紀夫「近代能楽集」、中原中也の詩集と「日本の名詩100選」、「曾根崎心中」とか。近現代の名文家の本ばかり。シェイクスピアの言葉の美しさとかギリシャ時代の修辞技法とか、西洋文学の流れがわかったうえでこういう日本文学の名文を読むと、この人たちはべらぼうに文章がうまいなと思ってひれ伏すところがあるんです。本当に美しい日本語を書いているんだなと、改めて気づける。
──その日本語への思いが、また翻訳へフィードバックするわけですね。
翻訳をやる方は皆さんおっしゃるんですが、翻訳ができるというのは英語がわかることではなく、日本語がわかっているということだと。そういう意味では学生時代に「源氏物語」とか古典を一生懸命に読んでいたので、それも役に立っているかもしれません。古文や漢文を読んでいくと、自分たちが今使っている日本語の仕組みがよくわかるんです。自分たちが何を考えてどう喋っているか、どうしてこういう思考様式を持っているのか。そこを考えるうえで、時代や土地が違うものを一度通過することは、1つの手がかりになると思います。
──谷さんの翻訳の面白さの秘密が、だいぶわかったような気がします。『オーファンズ』の新訳もとても新鮮ですね。「マジで?」とか今の言葉もしっかり入っていて。
ははは(笑)。文学的でなくてすみません。
──リズム感があって生き生きしている谷さんの言葉を、演者の方がどう自分の言葉にするか、楽しみです。
最初の読み合わせからすごく面白かったです。キャスティングのときから、役者さんたちがイメージに近いのでワクワクしていたんですが、実際に生の声で聞いてみたら、初読みなのにこんなに面白くていいのかというくらい良くて。若者2人も素晴らしかったんですけど、高橋和也さんがめちゃくちゃ魅力的です。ユーモアがあるしインテリジェンスもあって、そのうえワイルドでカッコいい。このハロルドなら付いていってしまうだろうし、弟を取られたトリートが嫉妬するのもわかるなと。彼に引っ張られて若者2人が変わっていくという構図が、役を越えて見える気がしました。宮田さんがそこをリードしてさらに広げていってくれるはずですし、絶対に面白い舞台になると思います。


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たにけんいち○福島県生まれ、作家・演出家・翻訳家。明治大学在学中に劇団DULL-COLORED POPを旗揚げ、作・演出・主宰をつとめている。近年では翻訳家としても高い評価を受け、2013年に第6回小田島雄志翻訳戯曲賞、ならびに文化庁芸術祭優秀賞を受賞。近年の代表作に、KAAT『ペール・ギュント』(翻訳・上演台本)、PARCO『マクベス』(演出補)、東宝『死と乙女』(演出)、シアターコクーン『PLUTO』(上演台本)、DULL-COLORED POP『夏目漱石とねこ』(座・高円寺)・『河童』(吉祥寺シアター)、Theatre des Annales『トーキョー・スラム・エンジェルス』(青山円形劇場)、東京グローブ座製作『ストレンジ・フルーツ』、『モリー・スウィーニー』(シアタートラム)などがある。

〈公演情報〉
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『オーファンズ』
脚本◇ライル・ケスラー
翻訳◇谷賢一
演出◇宮田慶子
出演◇柳下大 平埜生成 高橋和也 
●2/10〜21◎東京芸術劇場 シアターウエスト 
●2/27、28◎新神戸オリエンタル劇場 
〈料金〉
東京/S席¥6,800 高校生以下¥4,000(全席指定・税込)
大阪/S席¥6,800 A席¥5,800(全席指定・税込)
〈お問い合わせ〉ワタナベエンターテインメント03-5410-1885 (平日11:00〜18:00)



【取材・文/榊原和子 撮影/大倉英揮】


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